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丸木美術館(東松山市)

10月7日(水)、この日は ずっと行きたかった丸木美術館(東松山市)に行けることとなった。
かつて、24歳の時。病棟の同級生と24歳のボランティアさん達が集まって広島に旅行した。原爆ドームを見て、原爆資料館も見学した。本当は式典にも参列したいと思っての計画だったが、安全を考え、式典を取り止めての旅行となった。
フラッシュバックするようにその頃のことがよみがえってきた。
何故今、『原爆図がみたい 』のか。偶然ではない何かに導かれるように、次々と実現の運びとなった。
この日を迎える前に井伏鱒二の『黒い雨』を拝聴した。(点字図書館朗読テープ)
言葉では語りきれない情景。私の中で、創造が膨らんだ。

塩さんと和くんはこの日の為に下見までしてくれてて、塩さんの低い声が、私を館内に誘導し説明してくれた。
丘高い所にあったその建物は水色で、青い空に白い鳩の焼き物が壁にはめ込まれていた。右手奥には集会場。手前には原爆菩薩堂。どこかの中学生が折ったであろう千羽鶴。
無縁仏のような、素朴な石仏が祀ってあった。
夫婦でゆっくりと腰をおろし、夕陽を見ながら目の前の下を流れる川に目をやり、赤トンボが飛んでいく山間を幾度と見ていたに違いない。何とも心落ち着く場所だった。
その日もどこからか蝶々が飛んできた。秋晴れの、ほんのひとコマだった。

丸木位里丸木俊夫妻は、もうこの世にはいない。
原爆図を守っている事務長さんが出迎えてくれた。
手前の部屋には丸木スマさんお母さまの晩年に描かれた作品があった。遊びながら描いたというなんとも微笑ましい動物達の絵が飾られていて、とても色彩が豊かでお母様の優しさが溢れている絵だった。
次の部屋に、夫の丸木位里さんの水墨で描かれている屏風絵があり、牛がお好きなようで、何点も描かれてあった。
そして一番奥には2人の合作とも思われる『アウシュビッツ』『水俣病』『南京虐殺』など。奥さんが人物を描き、その上から夫の位里さんが墨を流し込み、全体の情感を表現している。

所々に血の赤なのか、それとも炎の赤か。その赤が画面の調和を一層殺戮の残虐さをあらわしていた。
このような手法で2人の大作、後世に残すべき『原爆図』が完成された。
丸木位里さんが広島県出身で、原爆が投下されて一週間後に広島に入った。その現場を目の当たりにし、1ヶ月後、妻の俊さんも広島に行く。
その時既に、位里さんは被爆していた。
命の炎が無くなるその日まで、あってはならない『戦争』か2人の絵のテーマとなった。
私は、その絵を生で見たいと思っていた。

でも今回、その絵をみることが出来なかった。
その絵は2階に展示されていて、その2階に続く「階段」を、私は下から見上げていた。この階段の向こうには、原爆で逃げ惑う人々の姿をとらえた絵がある。
1階に、西陣織りで寄贈された原爆図らしい織り絵があったが、そこにはきのこ雲と原爆ドーム、人間の逃げ惑う姿が描かれていた。
塩さんから、位里さんの絵には具体的な、きのこ雲もドームもない。と聞かされ、私は益々、丸木夫妻の絵のとらえ方の素晴らしさを実感した。

『人間』を描きたい。
広島とか、水俣だからでもない。
『人間の苦悩』『戦争の残酷さ』
それを表現したかったのではないかと。
いつか、この目で見られるその日まで、私は頑張りたい。
もっと、日本人として、どうあるべきかを心の奥に留めておきたいと思った。
以前より出かけることが困難になったけれど
車に揺られ、私は
千代ちゃん、ナミちゃん、和くん、皆が居てくれる安心からか車にゆられながら眠り込んでしました。本当にありがとう
もう二人。高坂Pで浅さん夫妻と合流し、6年振りの再会を果たした。
いつまでも変わらないエミちゃんだった
ご主人も写真を撮る時『はいチーズ』が『はいいってらっしゃい』と、なかなかユーモアの人物だった。

エミちゃんが車中で、『私の施設の利用者さんに90近いおはあさんがいて、その方は被爆者なの。』
『川を見るたび、絶対川の水は飲めない。毒だと思っていると』言っていた。その話を聞きながら、私はふと、あの美術館の前を流れる川は、広島の川に通じているんだと思った。 
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【沖縄料理を食べる会】

2011年11月27日

 この日を何よりも待ち望んでいた。
母に沖縄料理を食べさせたいと思ってから数年がたった。
あの風景。あの音楽。あの味が忘れられず『沖縄料理を食べる会』を計画した。

 この日の為に横浜の鶴見区の沖縄料理店にも出かけてみたが。
四街道にほど近い、検見川近辺の『島酒すまゆくい』に決めた。そこは公園近くのショッピングセンターの一角で色々な店が長屋風に並び、その中央にあった。
 入り口にいくつかの壺が置いてあり、どこか沖縄風の趣があった。
店内に入ると右手手前が座敷で3つのちゃぶ台があった。壁にはお酒のラベルが、大なり小なりと貼られていた。
左手側には、液晶TVに沖縄のDVDが流されていて、椅子と机の2テーブルが備えつけてあった。そして
床には貝殻の入ったオブジェがはめこまれていた。壁に目をむけると、小さな額縁に懐かしい沖縄の海が写っていた。

 会は塩さんの司会で始まった。私がどんな思いでこの会を開いたのか。

『私が30代はじめ頃に具合が悪く、それ以来、旅行もせず10年ぐらいほそぼそと絵を描いていました。そんな時、信田さんからスケッチ旅行でも行ってきたらと、後押ししてくれて『沖縄』に行ってこようと計画し塩沢さんやリクリエのメンバーに付き添って行って来ることができました。

 本当なら母や妹も同行させたかったのですが、呼吸器をもっての遠出、何もかもが不安ばかりで、スケッチ旅行を兼ねてだったので私だけ行かせてもらいました。

 はじめての沖縄は、まさにTVの映像からみる風景でしたが、実際目の前にみる海・空・風・を体感し見るものすべてが感動でした。私は、この海を見ながら『お母さん出させてくれてありがとう』と心から感動しました。現地の旅行会社の仲本さんも驚くほどの晴天にめぐまれ、『美しい海だ』と言っておりました。そして、沖縄料理もどれをとってもおいしくて『母にも食べさせたいな~』と思っておりました。

 母だけでなくこの会場にいるお一人お一人が私にとって大切な方ばかりです。
夜遅くまで手伝って下さる人、絵の額を用意してくれる人、落ちこんだとき励ましてくれる人、そんな方々のおかげで沖縄の絵を仕上げてきました。

 かけがえのないボランティアさんを私は心の家族だと思っています。この絵の『楽園』のようにみなさんとこれからも歩んでいけたらと思っています。

 雨の日も風の日もあるけど皆と共に一緒ならなんとかなる。
沖縄の方言に『なんくるないさー』とありますが『なんとかなる』と思っています。みなさんと楽しく生きていきたいと思います。云々

 そんな思いがつまった会にしたく、この日のために塩さんやウィズの皆さんに何度も下見に行って下さった。そのかいもありマスターの計らいで、予算以上の店の食材を気前良く提供して下さった。メニューとしても会場設定も大満足でした。

 海ぶどうサラダ、ゴーヤのかき揚げ、ゴーヤチャンプル、ミミガーの酢の物。フーチャンプルと私の好きなソーキ煮。そしてソーキそば。デザートには、さとうきびアイス、マンゴーアイス、黒みつがかかったアイスコーヒーゼリーを食べながら中盤に差し掛かったころ。

 この会を盛大に盛り上げてくれたのは、ここの常連客である珍念さんの三線の演奏だった。演奏者は26歳のさわやかな青年であった。沖縄出身かと思いきや習志野?え~。
独特なこぶし。
沖縄の民謡から今流行の曲まで演奏してくれた。
私は耳で感じて、舌で味わい、目でその情景を思い描いて欲しくて、私はこの日のためにF30号の慶良間諸島の海を描いた。

 珍念さんの透き通る歌声はその絵の情景そのものだった。
珍念さんは私の絵を見て大変感動してくださり、私の思いが伝わったような気がした。

 母は瞼を閉じ『いい音楽だったね。料理もいい味で満足したよ。』と大変喜んでくれた。

 最後に珍念さんと森山良子の『涙そうそう』とBIGINの『島人の宝』をみんなで合唱した。

 店内は熱気に包まれ、会の記念に撮影をした。
『ハイ、チ~ズ』

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 みんなへの感謝の気持ちはこれからも続く。

ありがとうございました。(^o^)/~~

テーマ : こんなお店行きました
ジャンル : グルメ

沖縄料理の下見


 10月24日午後3時ごろから沖縄の店を下見に行くことになった。

 塩さんと千代ちゃん、和ちゃん、なみちゃんの4人に介助してもらった。
 新しいボランティアさんと外出する際、外出指導というのがあって、新しいボランティアさんにもっと自分の介助をわかってもらうために私は個人的にビデオ作成することにした。

 『ベッドから車イスへの移動』『リフトを使うやり方』『車イスに呼吸器を固定させる』『リフトカーの乗り方』等々。もし『呼吸器が故障した時の対処方法』や『アンビューのやり方』などもビデオにおさめた。

 出演者はいつも私の介助をしてくれるベテランボランティアさんばかりで、幾つもの工程を経てやっと私の外出や外泊が出来ることを改めて工程の多さに驚いていた。

 なにげなく準備をしてくれているみんなに心から感謝したい思いだった。そして1人2人と共に外出してもらいたいし安心して行ってこれるようにこのビデオを活用したいと思った。

 店に着いた頃は6時をまわっていた。検見川方面に車を走らせ着いたところがショッピングセンター内でそば屋や整体等が並ぶ店の中に沖縄の店があった。

 店内はこじんまりしていてなんとか車イスだけは通った。
ドア右手に座敷があり、茶机が3つ並べられ通路をはさんで左側に5センチの段がありテーブルが2つ奥にカウンター席が並べられてる泡盛があった。沖縄の映像がTVから見られ沖縄民謡が流れていて雰囲気は申し分なかった。

 途中りっちゃんとも合流し、私達は空きっ腹にまかせ次から次へとメニューを頼んだ。
沖縄の思い出を話しながら楽しい一時を過ごした。

 9時をまわったころ、千葉みなとの東横インの障害者スペースに泊まった。
とても格安で、広く作られているので使いやすいホテルだった。

私は昼の風呂に間に合うように病棟に急いで帰った。

みんなありがとう
本番が楽しみで~す。
(^o^)/~~

【12回】

2011、5、28

今年も12回目のアートフレンズ展が開催しました。
この日を迎えるまでそれぞれが様々な思いで迎えたことと思います。
なぜなら3月11日に東日本に大震災がおきてからというもの、日本中が落ちつかない日々を過ごしてきました。

3月中旬から、余震の影響で計画停電が施行され電車の運行がストップするなどしました。
いつもならこの頃から、制作を始めていたのに、すっかり計画だおれ。
ボランティアさんの出入りのない病棟は被災はしないまでも私たちの生活もまた不自由を感じていました。

5月に入りようやく生活も安定してきましたがアートフレンズ展〆切りまで後2週間。
ほとんど制作時間がありませんでした。それでもボランティアさんが来てくださり、ようやく去年から描き続けていた作品を仕上げ出品することが出来ました。

共同制作はどの病棟も力作ぞろいでグループワークの時間に介助員さんと手がけたあざやかな壁画やゲーム感覚で楽しめる作品も出されました。また、私の病棟では患者さんの絵の原画を元に、粘土や水彩を使って壁画「夢みるバラ」を作成しました。そのことがきっかけとなり次々と作品へ取り組む意欲が出、その行為がご両親やボランティアさんを動かし、呼吸器を付けながら、頑張って展示会を見に行ってくることができました。

些細なことかも知れませんが「もの作り」には不思議な力があり、そこに「生きる力」が生まれるのだと実感しました。

この度の地震での心配もありましたが、無事故で参加出来ましたこと、皆様のご協力に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

テーマ : 展示会、イベントの情報
ジャンル : 学問・文化・芸術

【2回個展】

1991

【わたし】

 篠崎さん、お手紙ありがとうございました。

 何だか涙が出るくらいうれしかったです。

 今回の展示会はキャンセルできなくて、何と3週間という短期間で、制作しました。

 また、あの台風があったりして極めて悪条件の中、油10枚、デッサン4枚を描き上げ、荒いタッチで描き上

 げ、焦りを感じさせてしまったように思います。

 でも今こうして手紙や感想文を読み返しますと「やってよかった」の一言に尽きます。ムダじゃなかった。

 夏はムサ美のスクーリングを受け疲れきっていたので、出来ればしたくなかった展示会でしたが、これからの自

 分の方向性やら励まし勇気を与えてくれたように思います。

 
 絵を描く為の手伝いをお願いできたら、今も、そして明日も描き続けたい。残念ながらいないのです。

 そんな描きたい思いが、私を爆発させる。利益にもならない絵だけど、ただメッセージのために伝えたい。

 祈って祈ってもっと描きたいと思っています。




【このころのわたし】

 趣味程度の絵を描いていくのなら、やれない時は止めて、皆なと足並みをそろえて、又時間が出来た時にやればいいのかもしれない。   ほどほどに。でも、、、。

 私がこの病院で、いろんな思いをしてまで絵を描くということが、どいうことなのか今は分からない。。
 外(地域社会)での生活は、きっと私にいろいろと刺激を与えてくれるかもしれない。

 でも、せっかく筋ジストロフィー症として病気になり、病院生活をしているのだから、貴重な体験であると思う。

 きれいな絵を描いてみんなを喜ばせる絵もいいが、私はもっと私でしか描けない絵あるように思う。
   夢はずっと求めていきたい。

【いろいろ思ってた頃】

 Tさん、毎日のご様子よく分かりました。退職されて色々なことがあったことも、文面を通して伺うことが出来ました。よくよく心に留めておきたいと思います。
 私が何故Tさんの病院を見学したいのか。また話をしたいのかと言いますと、ここでの生活の不満を聞いてもらう為のものではなく、生活をしていて客観的に物事を見ることができないでいる苦しさを、打ち明けたかったのです。

 もしTさんの病院だったら見つけられるかもしれないと、思い切ってお便りしました。
私は日ごろ、病棟では一人の患者ですが私の意識の中では、一人の画家としての目で物をとらえている所があり、感じることや余暇の時間のとり方もみんなと違ってズレを感じたりします。そのようなことを言っても分かってもらえないでしょうが。

 絵を描くということは、静かな時間と1枚仕上げるだけの気迫。多分それは贅沢な悩みなんだろうと思います。

 この事が今回の問題でなく。

 個展にあたり、『私の生活している場をどうしても表現したいと思って。』そのため、皆にも何人かの人に今の生活状態の事や、その他色々と聞きました。でも絵は単なるレポートではないので。私自身が感じる映像なのです。言葉では表現しにくい何かを、キャンバスにぶつけられたら思うのです。

 ずっと以前から、本当はこうあるべきなんだと、私なりに絵を通して訴えたいし、表現したいと思っています。一人の患者が自立しながら成長することと、一人の画家が成長することでは違いが出てくると思います。

 うまく話せませんが、患者がベッドに横になっているポーズでもいいのです。知っている人を見て何かを感じようと努力してみましたが、なかなかひらめきません。描いてみたいなどと思わないのが悲しい。

 でも他の地に行けば、見慣れた生活風景でも目に留まり、描きたいと思うこともあるかも知れないと思うのです。もしご都合がよければ、面会がてら行きたいと思っています。そちらでの生活のご苦労がおありかと思います。何が必要なのか、
あきらめることなく私は求めていきたいと思います。今年は又学校に進学し、病棟役員も2~3引き受けました。時間がない私ですが、皆の中に入っていこうと思っています。


テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

misako.k

Author:misako.k
進行性筋ジストロフィーのため、入院生活を続けながら、約20年、絵に取り組み、定期的に個展も開催。手を上げるのも不自由、絵筆を持つのも体力がいるが、ボランティアに助けられ、1メートル以上の長い棒の先に筆をとりつけ150号以上の大作も仕上げてきた。現在は呼吸や弱視も弱いため中作品以下が多いが、ブログやホームページを通して交流を広げたいと意欲を燃やしている。妹(越川清美)はCG作品や手芸が得意。筋ジストロフィーで一緒に病院で暮らし、毎年障害者絵画展に出品している。

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