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【アメリカ研修】

1989年

【いきさつ】

 インターネットが流行る前、病院ではアマチュア無線を使って外の人達と通信をしていました。
病院にいながらにして様々な人と話をすることは視野を広げるだけでなく、外に目を向け社会に何らかのメッセージを投げかけることでもありました。
 
私は当時学生で先輩方がしようとしていることに、ただ引き連れらるようについて行くのが精一杯でした。
病気に対する究明運動や自分達の生活向上を考えたり、また突き進む内に『もっと外の世界がみたい』と。地域の中でいかに障害者が暮らしていけるかなどを求めて行ったのです。
 そんな中、故福島あき江さんは『アメリカの福祉を視察する』ため、一人の看護師を伴いアメリカボストンに留学し、カルフォルニアのバークレーの障害者による自立生活センターを視察して来ました。
 
その後、福島さんは埼玉で日本の自立生活センターを立ち上げ、地域社会に根ざした活動を展開していきました。
その彼女の遺志を継ぐ意味で、第2のアメリカ研修が計画されたのです。
この時の参加者は、障害者が3名、付き添い者・通訳など総勢15名で行ってきました。

【アメリカ研修】

○ランチョロスの病院・病院の説明会・筋ジス昼食会

○バークレー自立センター・いきさつ・創立・援助活動・ADAの運動

○車イス修理工場

○交通機関の保障(体験、自分の責任において行う)

■昨年の9月24日~10月3日にかけて、願ってもないアメリカ西海岸の研修旅行に参加させて頂きました。
主にロサンゼルスにあるランチョロス、アミーゴス病院での筋ジス患者との交流と、バークレーのLIL(自立生活センター)を見学することでした。
 以前、下志津病院に入院されていた故福嶋あき江さんの功績をたたえ、第2第3の筋ジス者の海外研修を可能にしたいとの遺志をついで、今回の企画が設けられたのですが、私にとって福島さんがアメリカで何を感じ、日本に帰って実行しようと思った事はいったい何であったのか。それらを少しでも感じることが出来たらとの思いでした。旅行中に感じた何点かを報告したいと思います。

 ◎ランチョロス、アミーゴス病院での見学。病院自体、社会復帰を目指している所で、患者に対する対応も、ものの考え方一つとっても前向きさが伺われた。病院の説明をしてくださったキリコフ先生の言葉に「障害があることで不可能と思わず、可能にしていくこと」と。私自身、ここ数年忘れかけていた言葉だっただけに新鮮でした。

 またDrの話には、どんな重度の障害でもボタン操作で自由に車を運転することも可能であると言う。困難だと思っていることが、人の手を借り工夫することで実現してしまうなんて…。ここではどんな障害も苦にならないとさえ思えた。それは車のことばかりでなく、昼食会を筋ジスの患者さんと共にした時も同じ事を感じた。
 日本だったら、個室に寝ているような患者さんに呼吸補助具や複雑で重々しい機材が、リクライニング式の電動車イスに取り付けてあったこと。ある者は残された機能の口で、コントローラーを操作していたことだ。それが1人2人なら充分なケアーも受けられると思ったが、見た所、ほとんどの人がレスピレーターをつけ楽しそうに食事をしている。そしてどれを見ても一つとして同じものはなく、その人にあった機材がつんであった。
 ふと私はこのケアーにどれだけの人手と毎日の生活の中で持続されているのかが疑問だった。話を聞くと、患者1人に対し職員(看護婦からPT)5人のケアーがあると言うから驚き。日本では人手不足に悩まされ、1対1の対応すら望めない状態だ。それだけに、アメリカの医療費の問題が気がかりだった。
 友人からの話によると、「莫大なお金を払わなければそのケアーを受けることが出来ない」というからその分、ケアーがいいのも納得が出来る。一週間にタウンニュースなるものがあり、そこで「私の娘は…ですぐにも入院させないと危い云々」と「是非とも協力を…」との報道があるそうだ。その翌日には、充分な寄付金が集まってしまうというから、なんて民主的といおうか、人命を大切にする国だと思った。しかしまた、それにまつわる問題も多いとか。


 ◎交通機関。LILに行くためリフト付の市バスを利用することにした。
 このリフト付バスは、バークレー市内を走っているバスの80%がリフト付で、前方の一般乗降になっている階段が、ボタン一つで一枚板にのび車イスが乗れるようになっていた。その他、地下鉄にも乗ってみた。日本と違い、地下鉄利用も様々で車イスはもちろん、自転車も乗車でき、その表示も適確であった。車イス専用のエレベーターも近くにあり、その点の設備はすばらしい。交通機関ばかりでなく、道路にしてももちろん段差などない。これらの一つ一つが、移動する際、不自由さを感じさせないということは、つまりバークレーの障害者達の叫びの反映でもあると思った。


 ◎LIL(自立生活センター)見学。LILは障害者自らが運営し、あらゆる事への選択を行ってきた所。介護をお願いするにもその障害者に、適切であるかを判断し依頼する。介護ばかりでなく、住宅の問題から車椅子の修理にいたるまで、様々な分野に積極的に取り組んでいた。その決定的ともいえるADA運動(米障害者法)のデモ行進を見学することができた。
 その内容とは、障害者用の設備を、今までは公的な所にしか設けることを義務付けられていなかったが、障害者が利用する私的な所にも設けなければならないと言う法律を通すための運動だった。
 行き交う人々には、目や耳、足の不自由な人達がどこからともなく集まってきた。それぞれに障害は違うが、互いに助け合い、住みよい町づくりの為に行進している姿を目の当たりにし、団結力のすごさをまざまざと感じさせられた。

 ひと通りさわりだけを述べてきましたが、一つの事柄には、必ず表と裏があり、私が見て来たことも、ほんの一断片にしかすぎません。アメリカは、多民族国家であり、資源も豊富で歴史も文化も日本と異なります。そういうあらゆるものがアメリカ社会を築いてきたのです。
 このアメリカ社会の中で、障害者がどれだけ理解されて、地位を得てきたかは、一週間たらずの旅行では知ることも出来ません。ただ、歴史をふりかえると、障害者ばかりでなくアメリカ国民が『自由と平等と人権』について主張してきた事実。その尊い精神は、今も変わらず『より人間らしく生きること』を誰もが求めていることを知り
ました。
 
いついかなる時に障害者になるか。そしてゆくえは老人になることを。もっと身近な問題として、考えなければならない。それも、当事者である私達が、言っていかなければならない義務があるのです。
 この他にも、まだまだ書きたい事があり、現地の人にも聞きたかった事も数多くあります。それから今回の企画に、色々なハンデーがあって行けなかった人のことも、忘れてはならないことだと思います。
 もっと沢山の方にこの研修に参加して頂き、色々な視点から考え、感じ、前向きに変えていくことが出来れば素晴しいことだと思います。
 この場をかりて、この旅行に協力して下さった同行者の方々、壮行会の方々に深く感謝致します。
 ~次の世代に次の人へバトンタッチ~

(1989年記載)
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テーマ : 障害者の自立
ジャンル : 福祉・ボランティア

プロフィール

misako.k

Author:misako.k
進行性筋ジストロフィーのため、入院生活を続けながら、約20年、絵に取り組み、定期的に個展も開催。手を上げるのも不自由、絵筆を持つのも体力がいるが、ボランティアに助けられ、1メートル以上の長い棒の先に筆をとりつけ150号以上の大作も仕上げてきた。現在は呼吸や弱視も弱いため中作品以下が多いが、ブログやホームページを通して交流を広げたいと意欲を燃やしている。妹(越川清美)はCG作品や手芸が得意。筋ジストロフィーで一緒に病院で暮らし、毎年障害者絵画展に出品している。

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