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【12回】

2011、5、28

今年も12回目のアートフレンズ展が開催しました。
この日を迎えるまでそれぞれが様々な思いで迎えたことと思います。
なぜなら3月11日に東日本に大震災がおきてからというもの、日本中が落ちつかない日々を過ごしてきました。

3月中旬から、余震の影響で計画停電が施行され電車の運行がストップするなどしました。
いつもならこの頃から、制作を始めていたのに、すっかり計画だおれ。
ボランティアさんの出入りのない病棟は被災はしないまでも私たちの生活もまた不自由を感じていました。

5月に入りようやく生活も安定してきましたがアートフレンズ展〆切りまで後2週間。
ほとんど制作時間がありませんでした。それでもボランティアさんが来てくださり、ようやく去年から描き続けていた作品を仕上げ出品することが出来ました。

共同制作はどの病棟も力作ぞろいでグループワークの時間に介助員さんと手がけたあざやかな壁画やゲーム感覚で楽しめる作品も出されました。また、私の病棟では患者さんの絵の原画を元に、粘土や水彩を使って壁画「夢みるバラ」を作成しました。そのことがきっかけとなり次々と作品へ取り組む意欲が出、その行為がご両親やボランティアさんを動かし、呼吸器を付けながら、頑張って展示会を見に行ってくることができました。

些細なことかも知れませんが「もの作り」には不思議な力があり、そこに「生きる力」が生まれるのだと実感しました。

この度の地震での心配もありましたが、無事故で参加出来ましたこと、皆様のご協力に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

テーマ : 展示会、イベントの情報
ジャンル : 学問・文化・芸術

【2回個展】

1991

【わたし】

 篠崎さん、お手紙ありがとうございました。

 何だか涙が出るくらいうれしかったです。

 今回の展示会はキャンセルできなくて、何と3週間という短期間で、制作しました。

 また、あの台風があったりして極めて悪条件の中、油10枚、デッサン4枚を描き上げ、荒いタッチで描き上

 げ、焦りを感じさせてしまったように思います。

 でも今こうして手紙や感想文を読み返しますと「やってよかった」の一言に尽きます。ムダじゃなかった。

 夏はムサ美のスクーリングを受け疲れきっていたので、出来ればしたくなかった展示会でしたが、これからの自

 分の方向性やら励まし勇気を与えてくれたように思います。

 
 絵を描く為の手伝いをお願いできたら、今も、そして明日も描き続けたい。残念ながらいないのです。

 そんな描きたい思いが、私を爆発させる。利益にもならない絵だけど、ただメッセージのために伝えたい。

 祈って祈ってもっと描きたいと思っています。




【このころのわたし】

 趣味程度の絵を描いていくのなら、やれない時は止めて、皆なと足並みをそろえて、又時間が出来た時にやればいいのかもしれない。   ほどほどに。でも、、、。

 私がこの病院で、いろんな思いをしてまで絵を描くということが、どいうことなのか今は分からない。。
 外(地域社会)での生活は、きっと私にいろいろと刺激を与えてくれるかもしれない。

 でも、せっかく筋ジストロフィー症として病気になり、病院生活をしているのだから、貴重な体験であると思う。

 きれいな絵を描いてみんなを喜ばせる絵もいいが、私はもっと私でしか描けない絵あるように思う。
   夢はずっと求めていきたい。

【いろいろ思ってた頃】

 Tさん、毎日のご様子よく分かりました。退職されて色々なことがあったことも、文面を通して伺うことが出来ました。よくよく心に留めておきたいと思います。
 私が何故Tさんの病院を見学したいのか。また話をしたいのかと言いますと、ここでの生活の不満を聞いてもらう為のものではなく、生活をしていて客観的に物事を見ることができないでいる苦しさを、打ち明けたかったのです。

 もしTさんの病院だったら見つけられるかもしれないと、思い切ってお便りしました。
私は日ごろ、病棟では一人の患者ですが私の意識の中では、一人の画家としての目で物をとらえている所があり、感じることや余暇の時間のとり方もみんなと違ってズレを感じたりします。そのようなことを言っても分かってもらえないでしょうが。

 絵を描くということは、静かな時間と1枚仕上げるだけの気迫。多分それは贅沢な悩みなんだろうと思います。

 この事が今回の問題でなく。

 個展にあたり、『私の生活している場をどうしても表現したいと思って。』そのため、皆にも何人かの人に今の生活状態の事や、その他色々と聞きました。でも絵は単なるレポートではないので。私自身が感じる映像なのです。言葉では表現しにくい何かを、キャンバスにぶつけられたら思うのです。

 ずっと以前から、本当はこうあるべきなんだと、私なりに絵を通して訴えたいし、表現したいと思っています。一人の患者が自立しながら成長することと、一人の画家が成長することでは違いが出てくると思います。

 うまく話せませんが、患者がベッドに横になっているポーズでもいいのです。知っている人を見て何かを感じようと努力してみましたが、なかなかひらめきません。描いてみたいなどと思わないのが悲しい。

 でも他の地に行けば、見慣れた生活風景でも目に留まり、描きたいと思うこともあるかも知れないと思うのです。もしご都合がよければ、面会がてら行きたいと思っています。そちらでの生活のご苦労がおありかと思います。何が必要なのか、
あきらめることなく私は求めていきたいと思います。今年は又学校に進学し、病棟役員も2~3引き受けました。時間がない私ですが、皆の中に入っていこうと思っています。


テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

【おきなわ亭】

2011、7,17

 海の日を前にして、もう気分は沖縄。今回は、沖縄気分を舌で味わいたく、横浜鶴見区の沖縄ストリートに行って来ました。

 その中で「おきなわ亭」におじゃましました。
店内は狭くカウンターごしに、四角いテーブルと椅子が並べられ、沖縄通の客で、ごった返していた。若いウェイトレスの彼女は、紅型のエプロンに三角頭巾を身にまとい接客していた。
 
『この店自慢のメニューは?と聞くと。』定番の品が言われた。
 その中でも『チビティ』を教えてくれた時、彼女の手が小豚の豚足を真似て、両手の指先を曲げ『こんな感じです』と。
 そのしぐさがなんと可愛がったことか。


 我々はひと通り『ゴーヤチャンプルから始まって、フーチャンプル、ソーキそば、もずくそば、油味噌にラフティー、スペアリブの唐揚げ、タコスライス、混ぜご飯、チビティ、ミミガーの酢の物、もずく、豆腐チャンプル』などなど
テーブルに並べられた品々は、あっという間にみんなのお腹に入った。
食事の合間に旅の思い出を語りながら、あの仲本さんの話題ものぼった。あの時一緒に味わった味を思い出しながら、私は沖縄を感じていた。

 今回のメンバーはトッキーも誘い、塩さんや千代ちゃん、和ちゃん、きょんちゃん、正さん等と、わいわいと言いながら完食した。
なかなか沖縄まで連れて行くことができないので、母にもこの味を食べさせてあげたいと下見を兼ねてやってきた。
『やっぱりこの味だよ』
『美味しかったな~。と(o^~^o)』口々に言っていた。みんなのその顔は大満足だった。

 隣の店舗には、沖縄のお土産や物産が売られていた。
スパムやもずく、紅いもタルトにシーサーの置物まで私は、お世話になっているボランティアさんにお土産を買って行った。ふと沖縄の公設市場を思わせるような店内は、所狭しに陳列されていた。

 心地好い風が、店先を通り抜ける。
その場で、ブルーシールアイスを正さんからご馳走になり、おもいおもいの味を楽しんだ。
一口スプーンですくっては味くらべ。
一番はシークワーサーかなと。
トッキーが買ったゴーヤ茶もみんなで回し飲みして、苦い苦いの連発。(≧ω≦)
結局半分くらい飲みほして、本人に返された。

 それは夏休み始めの出来事だった。

 この日のために、和ちゃんは車で下見をしてきてくれて、当日の運転も間違うことなく頑張ってくれました。千代ちゃんにも連絡や当日のナビや会計を担当してくれて、みんなの心使いにただただ感謝です。
 みんなありがとうねぇ。
 きょんちゃんは今回が初めての参加。明るい声と笑顔に元気を頂きました。
 みんなの成長ぶりを嬉しそうに塩さんは見ていました。

今回も最高でした。(^o^)/~~ありがとうございました。

テーマ : こんなお店行きました
ジャンル : グルメ

【新聞】

1994.6

【新聞の記事から】

障害者が選んで雇うパーソナルヘルパー デンマークの「生みの親」来日

 福祉の先進国デンマークから筋ジストロフィー症の重度身体障害者エーバルド・クローさん(50)が来日、車いすで公演して回っている。1日24時間介助の必要な重度障害者でも施設や家族に頼ることなく、自立した生活を送、仕事や旅行もできる介助システムの生みの親だ。

 クローさんは歩くのはもちろん、手を伸ばしてものを取ることもできない。夜中も体位を変えるために24時間の介助が必要だ。だが、「医者は私のことをせいぜい4歳までしか生きられないと言っていたが、その医者の方が先に亡くなってしまった」とユーモアを忘れない。

 そんなクローさんが、デンマークの筋ジストロフィー協会会長として、仲間と共に運動を続けて勝ち取ったのが「オーフス方式」だ。デンマークで最初に採用した市の名前からこう呼ばれる。
ホームヘルパーは自治体が派遣するケースが中心だが、これとは別に重度の人のために障害者自身が息の合った人を選んで雇う、いわば「パーソナルヘルパー」が認められているのが一番の特徴だ。

 クローさんは4人のヘルパーを雇い、オーフス市郊外の一戸建てに住む。1人のヘルパーが24時間勤務し、ほかの人と交代する。長時間一緒にいるヘルパーは。相性のいい人や趣味などの合う人の方がいい。来日には男女各1人のヘルパーが付き添ってきたが、男性ヘルパーのヤン・オールップさん(33)は、クローさんが新聞に出した求
人広告で採用された。

 広告に載せた条件は、車の運転がうまいこと、旅行のため続けて家をあけられること、料理などの家事ができることだった。希望者80人を書類選考で12人にしぼり、1人1時間の面接で決めた。「私は自動車の修理や整備ができるし、面接の時のクローさんのユーモアが気に入った」とオールップさん。

 クローさんはこんな話もして会場の笑いを誘った。「ヘルパーさんに不満があった場合、自分の頭を洗っている時に言うのはいいタイミングじゃない。服を全部着せてもらって、少なくても1時間ぐらいはヘルパーさんなしでやっていける時に言うんです」

 ヘルパーは24時間勤務を月に7回して、月給約27万円。4人で約110万円かかるが、市と国が半分ずつ負担する。「ヘルパーは市に所得税を払うし、市も施設を持つ必要が少なくなるので、市にかかる負担はあまり多くない。そして障害者も活動的な生活を送れるわけです」

 クローさんの話について、全国自立生活センター協議会の斎藤明子さんは「日本のホームヘルパー制度の大半は朝9時から午後5時までで、重度障害者には使いにくい。自治体側の都合で派遣するヘルパーはどうしてもユーザー側の満足とは遠くなる。お金でもらい、自分たちでサービスを選び、買うというのが先進国の動きです」と話す。

 全国公的介護保障要求者組合によると、介護制度が進んでいる東京都内でも、各種の制度を合わせて月に最高100万円近くの介護費用が出る自治体もあれば、その半分以下の所もある。

 クローさんは28,29日に札幌市で、6月2日に兵庫県西宮市で講演する。問い合わせは
日本障害者協議会(03-5995-4501)へ。またクローさんの来日に合わせ、「クローさんの愉快な苦労話」(ぶどう社、1600円)も出版された。

『当時の私達の関心事は、障害者がどうやったら地域の中で暮らすことができるか、ということだった。
 
 今では法律化されるまでになり、障害者の自立が保障されている。
 
 いろんな生き方があるけど。どこで何をしたいのかが個々人に問われていきそうだ。』

テーマ : 障害者の自立
ジャンル : 福祉・ボランティア

【震災】

2011、3、

 東北地方に大地震がおきてから、宮城の津波、福島の原発とその影響は甚大なものだった。テレビの映像からは変わり果てた町並みが写し出され、津波によってひとつの町が飲み込まれるという信じがたい姿となって失った。

地震発生時、日中だったことから、家族はバラバラに被災し、親を失った震災孤児たちは100人を越えた。

日がたつにつれわかってくる事実。テレビを見るたびに涙がとまらなかった。 
何ヵ月か過ぎたいまも、逃れ切れない現実と向き合っている人々がいることを、忘れてはいけないと思った。

 私のところに、月に1~2回ぐらいの割合で、マッサージをして下さる整体師の方がいる。その人から、松島の被災所に行くので、もし救援物資を集められたら『一緒に持っていくので』と声をかけられた。 
私も何かしたいという思いはあっても行動にうつせないでいた。

 でも彼の呼び掛けに私にもできることを見つけられ、婦長さんに段ボールの置き場の許可をもらい、品物も何人かの職員の協力によって箱いっぱいになった。
高橋さんは仲間と被災した地を回ってマッサージをして行ってきたそうです。

 彼の行動がなかったら私は心の中で悶々としていたに違いないと思った。

2011.6.24

【本田さんからの手紙】

 先日東北震災ボランティアとして、一日でしたが石巻へ行ってきました。
海から数キロ離れた所でも腰まで水が来て、道路2つ海側は家の1Fがメチャクチャになったりとで、場所により大きく被害が違うのを目の当たりにしてきました。

 今回のボランティアについては、石巻のボランティアセンターが窓口になり、住民からの要望に対して振り分けをしていました。

 私共は町会内のU字溝の蓋を取り、中にたまったヘドロを掘り出し土のう袋につめる作業でした。へドロの臭いは油の様なコールタールの様な臭いで、行きに夜中東北自動車道国見サービスエリアからでもわかるくらいでした。海から20kmくらい離れていると思うのですが、中々です。

 津波はあのテレビで見えた黒い水であり、油っぽい強い臭いでもあったんです。波の力で押しつぶされた家、車、コンテナ、全てがまるでゴミ箱に捨てた紙くずの様な形になっているのには言葉もありません。(海のすぐ近くは)当然人も押しつぶされていると思います。

 そんな苦しい思いを感じつつボランティア活動してきました。石巻から出発する時、車の周りの家の人が皆道路に出て頭を下げてくださる姿には涙が出ました。

 さあ良い仕事しなくてはネ
私は今日は利用者の宿泊で鬼怒川温泉に来ていますのでちょっとお手紙

むりすんなヨ

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

プロフィール

misako.k

Author:misako.k
進行性筋ジストロフィーのため、入院生活を続けながら、約20年、絵に取り組み、定期的に個展も開催。手を上げるのも不自由、絵筆を持つのも体力がいるが、ボランティアに助けられ、1メートル以上の長い棒の先に筆をとりつけ150号以上の大作も仕上げてきた。現在は呼吸や弱視も弱いため中作品以下が多いが、ブログやホームページを通して交流を広げたいと意欲を燃やしている。妹(越川清美)はCG作品や手芸が得意。筋ジストロフィーで一緒に病院で暮らし、毎年障害者絵画展に出品している。

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