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【おきなわ亭】

2011、7,17

 海の日を前にして、もう気分は沖縄。今回は、沖縄気分を舌で味わいたく、横浜鶴見区の沖縄ストリートに行って来ました。

 その中で「おきなわ亭」におじゃましました。
店内は狭くカウンターごしに、四角いテーブルと椅子が並べられ、沖縄通の客で、ごった返していた。若いウェイトレスの彼女は、紅型のエプロンに三角頭巾を身にまとい接客していた。
 
『この店自慢のメニューは?と聞くと。』定番の品が言われた。
 その中でも『チビティ』を教えてくれた時、彼女の手が小豚の豚足を真似て、両手の指先を曲げ『こんな感じです』と。
 そのしぐさがなんと可愛がったことか。


 我々はひと通り『ゴーヤチャンプルから始まって、フーチャンプル、ソーキそば、もずくそば、油味噌にラフティー、スペアリブの唐揚げ、タコスライス、混ぜご飯、チビティ、ミミガーの酢の物、もずく、豆腐チャンプル』などなど
テーブルに並べられた品々は、あっという間にみんなのお腹に入った。
食事の合間に旅の思い出を語りながら、あの仲本さんの話題ものぼった。あの時一緒に味わった味を思い出しながら、私は沖縄を感じていた。

 今回のメンバーはトッキーも誘い、塩さんや千代ちゃん、和ちゃん、きょんちゃん、正さん等と、わいわいと言いながら完食した。
なかなか沖縄まで連れて行くことができないので、母にもこの味を食べさせてあげたいと下見を兼ねてやってきた。
『やっぱりこの味だよ』
『美味しかったな~。と(o^~^o)』口々に言っていた。みんなのその顔は大満足だった。

 隣の店舗には、沖縄のお土産や物産が売られていた。
スパムやもずく、紅いもタルトにシーサーの置物まで私は、お世話になっているボランティアさんにお土産を買って行った。ふと沖縄の公設市場を思わせるような店内は、所狭しに陳列されていた。

 心地好い風が、店先を通り抜ける。
その場で、ブルーシールアイスを正さんからご馳走になり、おもいおもいの味を楽しんだ。
一口スプーンですくっては味くらべ。
一番はシークワーサーかなと。
トッキーが買ったゴーヤ茶もみんなで回し飲みして、苦い苦いの連発。(≧ω≦)
結局半分くらい飲みほして、本人に返された。

 それは夏休み始めの出来事だった。

 この日のために、和ちゃんは車で下見をしてきてくれて、当日の運転も間違うことなく頑張ってくれました。千代ちゃんにも連絡や当日のナビや会計を担当してくれて、みんなの心使いにただただ感謝です。
 みんなありがとうねぇ。
 きょんちゃんは今回が初めての参加。明るい声と笑顔に元気を頂きました。
 みんなの成長ぶりを嬉しそうに塩さんは見ていました。

今回も最高でした。(^o^)/~~ありがとうございました。

テーマ : こんなお店行きました
ジャンル : グルメ

【新聞】

1994.6

【新聞の記事から】

障害者が選んで雇うパーソナルヘルパー デンマークの「生みの親」来日

 福祉の先進国デンマークから筋ジストロフィー症の重度身体障害者エーバルド・クローさん(50)が来日、車いすで公演して回っている。1日24時間介助の必要な重度障害者でも施設や家族に頼ることなく、自立した生活を送、仕事や旅行もできる介助システムの生みの親だ。

 クローさんは歩くのはもちろん、手を伸ばしてものを取ることもできない。夜中も体位を変えるために24時間の介助が必要だ。だが、「医者は私のことをせいぜい4歳までしか生きられないと言っていたが、その医者の方が先に亡くなってしまった」とユーモアを忘れない。

 そんなクローさんが、デンマークの筋ジストロフィー協会会長として、仲間と共に運動を続けて勝ち取ったのが「オーフス方式」だ。デンマークで最初に採用した市の名前からこう呼ばれる。
ホームヘルパーは自治体が派遣するケースが中心だが、これとは別に重度の人のために障害者自身が息の合った人を選んで雇う、いわば「パーソナルヘルパー」が認められているのが一番の特徴だ。

 クローさんは4人のヘルパーを雇い、オーフス市郊外の一戸建てに住む。1人のヘルパーが24時間勤務し、ほかの人と交代する。長時間一緒にいるヘルパーは。相性のいい人や趣味などの合う人の方がいい。来日には男女各1人のヘルパーが付き添ってきたが、男性ヘルパーのヤン・オールップさん(33)は、クローさんが新聞に出した求
人広告で採用された。

 広告に載せた条件は、車の運転がうまいこと、旅行のため続けて家をあけられること、料理などの家事ができることだった。希望者80人を書類選考で12人にしぼり、1人1時間の面接で決めた。「私は自動車の修理や整備ができるし、面接の時のクローさんのユーモアが気に入った」とオールップさん。

 クローさんはこんな話もして会場の笑いを誘った。「ヘルパーさんに不満があった場合、自分の頭を洗っている時に言うのはいいタイミングじゃない。服を全部着せてもらって、少なくても1時間ぐらいはヘルパーさんなしでやっていける時に言うんです」

 ヘルパーは24時間勤務を月に7回して、月給約27万円。4人で約110万円かかるが、市と国が半分ずつ負担する。「ヘルパーは市に所得税を払うし、市も施設を持つ必要が少なくなるので、市にかかる負担はあまり多くない。そして障害者も活動的な生活を送れるわけです」

 クローさんの話について、全国自立生活センター協議会の斎藤明子さんは「日本のホームヘルパー制度の大半は朝9時から午後5時までで、重度障害者には使いにくい。自治体側の都合で派遣するヘルパーはどうしてもユーザー側の満足とは遠くなる。お金でもらい、自分たちでサービスを選び、買うというのが先進国の動きです」と話す。

 全国公的介護保障要求者組合によると、介護制度が進んでいる東京都内でも、各種の制度を合わせて月に最高100万円近くの介護費用が出る自治体もあれば、その半分以下の所もある。

 クローさんは28,29日に札幌市で、6月2日に兵庫県西宮市で講演する。問い合わせは
日本障害者協議会(03-5995-4501)へ。またクローさんの来日に合わせ、「クローさんの愉快な苦労話」(ぶどう社、1600円)も出版された。

『当時の私達の関心事は、障害者がどうやったら地域の中で暮らすことができるか、ということだった。
 
 今では法律化されるまでになり、障害者の自立が保障されている。
 
 いろんな生き方があるけど。どこで何をしたいのかが個々人に問われていきそうだ。』

テーマ : 障害者の自立
ジャンル : 福祉・ボランティア

【震災】

2011、3、

 東北地方に大地震がおきてから、宮城の津波、福島の原発とその影響は甚大なものだった。テレビの映像からは変わり果てた町並みが写し出され、津波によってひとつの町が飲み込まれるという信じがたい姿となって失った。

地震発生時、日中だったことから、家族はバラバラに被災し、親を失った震災孤児たちは100人を越えた。

日がたつにつれわかってくる事実。テレビを見るたびに涙がとまらなかった。 
何ヵ月か過ぎたいまも、逃れ切れない現実と向き合っている人々がいることを、忘れてはいけないと思った。

 私のところに、月に1~2回ぐらいの割合で、マッサージをして下さる整体師の方がいる。その人から、松島の被災所に行くので、もし救援物資を集められたら『一緒に持っていくので』と声をかけられた。 
私も何かしたいという思いはあっても行動にうつせないでいた。

 でも彼の呼び掛けに私にもできることを見つけられ、婦長さんに段ボールの置き場の許可をもらい、品物も何人かの職員の協力によって箱いっぱいになった。
高橋さんは仲間と被災した地を回ってマッサージをして行ってきたそうです。

 彼の行動がなかったら私は心の中で悶々としていたに違いないと思った。

2011.6.24

【本田さんからの手紙】

 先日東北震災ボランティアとして、一日でしたが石巻へ行ってきました。
海から数キロ離れた所でも腰まで水が来て、道路2つ海側は家の1Fがメチャクチャになったりとで、場所により大きく被害が違うのを目の当たりにしてきました。

 今回のボランティアについては、石巻のボランティアセンターが窓口になり、住民からの要望に対して振り分けをしていました。

 私共は町会内のU字溝の蓋を取り、中にたまったヘドロを掘り出し土のう袋につめる作業でした。へドロの臭いは油の様なコールタールの様な臭いで、行きに夜中東北自動車道国見サービスエリアからでもわかるくらいでした。海から20kmくらい離れていると思うのですが、中々です。

 津波はあのテレビで見えた黒い水であり、油っぽい強い臭いでもあったんです。波の力で押しつぶされた家、車、コンテナ、全てがまるでゴミ箱に捨てた紙くずの様な形になっているのには言葉もありません。(海のすぐ近くは)当然人も押しつぶされていると思います。

 そんな苦しい思いを感じつつボランティア活動してきました。石巻から出発する時、車の周りの家の人が皆道路に出て頭を下げてくださる姿には涙が出ました。

 さあ良い仕事しなくてはネ
私は今日は利用者の宿泊で鬼怒川温泉に来ていますのでちょっとお手紙

むりすんなヨ

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

【制作】

2011,6,25


この少年が海を見ているように 

遠い昔の記憶をたどっている。

みなさんと交わした文通を、有り難く大切な贈り物だと思っております。

今さら、昔のことを振り替えってどうするのなんて聞こえてきそう。

あの時、私は一生懸命生きていた。

みんなもそれに応えてくれた。

泣いたり怒ったり、喜んだり楽しかったり

いろんな感情が飛び交っていた。 

私はあの頃から絵を中心にみんなと共に走ってきた。

そして今も走り続けていられることに感謝。

どこにたどりつくのかわからないけど。

同じ時を過ごし、同じ夢をみていたいと思ってる。 

もっと違う言葉を伝えたいけど今は

『いつもありがとう』


この子



テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

【記事NHK個展】

1993、
【NHK個展】

『4月24日付、東京新聞千葉中央版・千葉版』
障害乗り越え個展開く
筋ジストロフィーの越川美佐子さん
NHK千葉放送局で28日まで
春の風景など47点
油絵、デッサン・・・力作ばかり

筋ジストロフィーの障害を持ちながら、油絵などを描き続けている越川美佐子さん
(29)=四街道市鹿渡=の作品を展示した「MISAKO展・私の春」が、千葉市中央区のNHK千葉放送局マリンプラザで開かれている。
越川さんは現在、武蔵野美術短大通信課程の2年生。会場には油絵、デッサン画など47点を展示、植物などの自然を描いた作品が並ぶ。作品は越川さんが先月、長野県に出掛け、八ヶ岳周辺の春の風景を描いたものだという。
越川さんは「個展が開けるのも、助けてくれる人たちのおかげ。これからも頑張ります」と話していた。28日まで。



プロフィール

misako.k

Author:misako.k
進行性筋ジストロフィーのため、入院生活を続けながら、約20年、絵に取り組み、定期的に個展も開催。手を上げるのも不自由、絵筆を持つのも体力がいるが、ボランティアに助けられ、1メートル以上の長い棒の先に筆をとりつけ150号以上の大作も仕上げてきた。現在は呼吸や弱視も弱いため中作品以下が多いが、ブログやホームページを通して交流を広げたいと意欲を燃やしている。妹(越川清美)はCG作品や手芸が得意。筋ジストロフィーで一緒に病院で暮らし、毎年障害者絵画展に出品している。

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